第3回「伊賀者の系譜」(後期)

「伊賀者の系譜」 要旨

池田 裕


忍者(しのびのもの)は伊賀者甲賀者と「武家名目抄」「近江輿地志略」などに記される。「宗国史」に伊賀者を昔は細作といい、江戸時代に常時は伊賀在番、藩主が参勤交代の際は同行し江戸屋敷で宿直とある。そこで、伊賀者を2系統に分けることを提唱する。すなわち、戦国期の忍者を「前期忍者」、元和演武以降の忍者を「後期忍者」。前者は傭兵的性格を持ち、敵将を暗殺することもあった。後者は警察的性格を持ち、警備、探索が主たる仕事であった。江戸幕府配下の伊賀者は、もはや忍者の役割が消え単なる衛兵になる。しかし、藤堂藩配下の伊賀者は前期忍者の性格を色濃く受け継ぐ。藤堂藩の伊賀者を考証した。一人は曽我五郎兵衛。「高山公実録」や「伊賀付差出帳」に記される最初の伊賀者。その後、五郎兵衛はなんらかの功績をたて200石の軍師に出世、曽我家には髑髏が描かれた陣羽織が残る。次に沢村甚三郎。先代は藤堂高次の時に採用され、嘉永6年(1853)ペリー来航の際に黒船に乗船し探索。澤村家に残る英語(和蘭語)のメモは従来その時の物とされていたが「1856」の透かしが確認された。ペリーでなくハリスに関わる物だろうか。いずれにせよ、藤堂藩伊賀者は幕末まで忍者として活躍した事が窺えるだろう。

 

2014年度後期第3回忍者・忍術学講座 (10).JPG

動画(部分)