第4回「大衆文学とは何か-貴司山治「忍術武勇伝」-」(後期)

「大衆文学とは何か-貴司山治「忍術武勇伝」-」 要旨

尾西康充

 

ナップ派作家であった貴司山治は、「忍術武勇伝」(「戦旗」第3巻第2号、1930年2月)を発表している。青野季吉の論文「自然成長から目的意識へ」(1926年)が発表されて以来、プロレタリア作家たちは、自己の体験にもとづいた《自然な》描写ではなく、マルクス主義理論にもとづいた《目的》を主題とした作品を要請されるようになっていた。文芸戦線派の作家たちは、労働者の感情に即した表現を心がけようとしたのに対し、ナップ派の作家はインテリが多かったこともあって、理論から現実を切り取ろうとした。その結果、日本社会の現実が理論の世界と大きく異なっていたことや、理論を当てはめただけの小説では読者が関心を示さなかったこと、とりわけ彼らが獲得の対象としていた労働者や農民には難解すぎることなどが、大きな壁として彼らの前に立ちはだかることになった。

もともと大衆小説への志向が強かった貴司山治は、だれもが手にとってもらいやすい作品の創作を呼びかけた。戦国時代と並んで明治維新は、日本社会を大きく変容させた時代の転換期として、後世にわたってながらく国民的関心事であり続け、大衆芸能の素材とされてきた。貴司は「歴史はくり返す」というタイトルをつけ、昭和の労働争議を明治維新になぞらえる。「幕府と結託した当時の社会民主主義者一派」が薩摩藩、「長州過激派」が桂小五郎執行委員長の率いる労働組合左派。京都守護職の松平容保は警視総監。近藤勇の新撰組は松平総監直属の特高警察のえり抜きの一隊。革命を起こすべく「長州過激派」は日夜、秘密会合を繰り返すが、近藤勇は密偵を仕込んで、彼らを取り押さえようとする……。

大衆文学に登場する忍者像、本発表では、大衆に受け容れられた、あるいは大衆が求めた忍者のイメージを明らかにした。

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