第4回「戦国時代 伊賀国の石造物情勢は 複雑奇怪なり」(前期)

戦国時代 伊賀国の石造物情勢は複雑奇怪なり」要旨

竹田憲治

中世伊賀国の石塔・石仏は、大和国からの影響を強く受けていた。鎌倉時代前期に東大寺の影響を受けた新大仏寺の石製基壇、鎌倉時代後期に西大寺の影響を受けて造立された阿弥陀寺、西光寺、市場寺などの大型五輪塔、大和の様式を受け継いだ各地の宝篋印塔などがそれにあたる。この傾向は南北朝時代、室町時代(十五世紀)にも継承されていく。

しかし、戦国時代(十五世紀末以降)になると石塔・石仏の様相が変化していく。笠付や舟形の小型石仏、小型の五輪塔や宝篋印塔(小型石塔)などの大量造立、室町時代以前の伊賀にはみられなかった舟形の五輪塔や題目塔の出現、石塔・石仏の材料となる石材の流通の変化などである。これらは、より低い階層への仏教の浸透、彼らの経済的な上昇、多様な宗派の教線拡大、多様な経済ネットワークの成立を示していると思われる。このような傾向は全国の各地でみられるが、伊賀国ではより顕著である。これは江戸時代前期まで引き継がれ、このような多様化が、「伊賀者」・「伊賀衆」などを生み出す素地となったと考えられる。

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