人文学部
人文社会科学研究科

研究

第2回「広敷伊賀者と御庭番-隠密御用の実際-」(前期)

広敷伊賀者と御庭番-隠密御用の実際-」要旨

深井雅海

御庭番は、江戸幕府の隠密としてその名称が広く知られている。しかし、その割には活動の実態など不明な部分が多い。これは、御庭番が「隠密」であることから、それに関する記録はほとんど残っていないというのが半ば常識化していたからである。今回は、徳川将軍家や「御庭番家筋」に伝来した確かな史料に基づいて、御庭番の実像を明らかにしたい。

御庭番は、紀州藩主徳川吉宗が8代将軍職を継いだ際、将軍独自の情報収集機関として設置されたものである。この将軍直属の隠密という点が、他の隠密とは異なる御庭番の最大の特色であった。そして御庭番は、将軍やその側近役人である御側御用取次の指令をうけて、諸大名や遠国奉行所・代官所などの実状調査、また老中以下諸役人の行状や世間の風聞などの情報を収集、その調査結果を報告書である風聞書にまとめて上申し、将軍はその情報を幕府政治に反映させていた。かくして御庭番は、将軍が老中以下の行政機構に対抗し、幕政の主導権を握る際の重要な手段としての機能をもち、その役割は幕末まで維持されたのである。本講座では、はじめに御庭番の創設過程、その組織・地位・職務を説明し、ついで隠密鼓動の実態について明らかにしていくつもりである。

2018年度第2回忍者・忍術学講座 (11).JPG

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