第3回「前近代中国の軍事技術と忍者の忍器」(前期)

「前近代中国の軍事技術と忍者の忍器」要旨

髙村武幸

 

戦国~江戸時代は「世界の一体化」の時代であり、日本でも通商や軍事衝突を通じて近隣諸国や欧州との交流が行われた。特に火薬を用いる火器は、中国で11世紀頃に実用化され、文永・弘安の役(1274・1281年)などで日本にも知られるようになった。16世紀には火縄銃が伝来し、大きな影響をもたらした。忍術秘伝書・藤林保武『万川集海』(1676年)にも、火薬を用いた忍器などの記述があり、中国の兵器と似た物も少なくない。

しかし、中国・明代の兵書である、茅元儀『武備志』(1621年)の記述と比較すると、『万川集海』記載の忍器は、『武備志』と酷似したものが複数見受けられる。中国の軍事技術・兵器・戦法は、大規模集団戦や城郭都市攻防戦を背景に発達したものである。しかし忍者が活躍したであろう場面は、それとは全く異なる潜入・破壊工作・ゲリラ戦と考えられ、中国兵書にみえる兵器と酷似した忍器を用いる機会は皆無ではなくとも相当限定されよう。

となると、これら忍器は現実の伊賀・甲賀衆が用いたものではなく、『万川集海』の著者が中国兵書を引き写したものである可能性を考える必要がでてくる。前述の『武備志』は日本に伝来し、1664年には国内でも刊行されており、『万川集海』の著者が参照してもおかしくない。試みに『万川集海』に引用された複数の中国兵書の引用を検討すると、それぞれの原書をみたというよりは、『武備志』に引用された各種兵書を『万川集海』に引用(いわゆる「孫引き」)したのではないかと考えられる部分があり、先の推測を強めるのである。

東洋史の立場からみて『万川集海』の価値は、忍者の子孫を自認した著者が、漢籍を受容しそれを自著に多く引用していた点にある。これは、著者に漢籍の知識があり、漢籍の引用が自著の権威を高めることを十分理解していたことを示す。『万川集海』は江戸時代漢籍受容史、広義の日中文化交流史の貴重な史料なのである。

 

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