第1回「「神君伊賀越え」の事実」(前期)

「「神君伊賀越え」の事実」要旨

藤田達生

 

有名な「神君伊賀越え」については、関係史料によって所用日数やルートが様々である。特にルートの詳細に関しては、いまだに定まっていない部分もある。講演では、同時代史料の検討を通じて伊賀における逃避ルートを推定した。その結果は、①信楽小川館→伊賀国境→丸柱→柘植→伊勢国境→伊勢関②信楽小川館→多羅尾→伊賀国境→丸柱→以下①と同じ③信楽小川館→油日→伊賀国境→柘植→伊勢国境→伊勢関だった。可能性としては、①②の順で高いのであるが③も否定しきれない。それぞれの伊賀における走行距離は、①約20キロメートル②約25キロメートル③約3キロメートルである。したがって、「伊賀越え」は最長でも全行程の約8分の1、最低の場合は70分の1となってしまう。どのルートにしても、家康一行は伊賀路を半日以内の行程で難なく通過したことから、従来いわれるほどの困難が伴ったとは思われない。したがって、なぜ「伊賀越え」といわれたのか、なぜ伊賀者の活躍が強調されてきたのかが問われねばならないのである。これを解くカギが、江戸時代の中・後期における江戸の伊賀者の困窮にあることを指摘した。

 

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