第5回「藤田西湖研究」(前期)

「藤田西湖研究」要旨

山田雄司

甲賀流忍術十四世を名乗った藤田西湖は異彩を放った人物で、その生涯について記した『どろんろん』には、幼少のときからのさまざまなエピソードが記されている。しかし、当時の新聞記事を検討すると、改変されたりかなり誇張されている部分があることがわかる。例えば、著書では藤田は浅草生まれで、あるとき山伏について100日あまり家出したとするが、複数の新聞記事には、伊豆大島生まれで、祖母から役行者についての話を聞き興味をもったとする。また、著書では怪力ロシア人ケンテルと力比べをして勝ったと記しているが、新聞ではケンテルの記事を見て発奮し、顔面に針を刺すようになったとする。
藤田は当初、修霊鍛身会会長として、肉身貫針術、熱湯術などを披露し、病気治しなども行っていたが、大正13年(1924)ころからそれらを「忍術」として披露するようになった。忍者はいかなる苦痛を受けても耐えなければならないということから、そうした術を祖父から習い、その後は自らさまざまな書を読みあさったとする。そして、警察をはじめ各所で術を披露し、陸軍中野学校でも教鞭を執るなど活躍し、種々の武術を極めた。その背景には、藤田の勤勉さと卓越した精神力があったと言える。

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