人文学部
人文社会科学研究科

研究

第5回「小天狗清蔵について-その活動と天正伊賀の乱後の復興-」(前期)

小天狗清蔵について-その活動と天正伊賀の乱後の復興-」要旨

瀧川和也

伊賀出身の修験者「小天狗清蔵」。彼は織田信長による、いわゆる天正伊賀の乱によって荒廃した伊賀地域の復興に大きな役割を果たしました。

合併前の旧阿山町では、平成13~16年にかけて仏像の悉皆調査が実施され、約380体の仏像を調査し、『阿山町仏像調査報告書』(阿山町教育委員会 平成16年)にまとめられました。その結果、近世以降の仏像の数が非常に多い(全体の約97%)という事実が浮かび上がってきました。天正伊賀の乱による戦火が原因ではと考えた時、傷跡は存外深く残っているのではないか、古記録に見られるように被害は甚大であったのではないかと推測されます。

小天狗清蔵については、早くから岡田榮吉氏によってその業績がまとめられています(岡田榮吉編『小天狗清蔵大徳の偉績略記』伊賀史談會1936)。

幼少時は史料もなく伝説的な話が多いのですが、天正伊賀の乱後には棟札や金石文にその名前があらわれるようになり、活発な活動の様子がうかがわれます。小天狗は神社や寺院を復興し、梵鐘等を寄進しますが、その過程を見ると、彼の中に復興に関するある程度明確なビジョンがあったように考えられます。また、鋳物師と密接な関係にあったようで、鋳造物の寄進を通じて地元鋳物師の技術向上にも尽力している様子がうかがえます。

小天狗清蔵は、修験者として「大峯三十六度」という厳しい修行を積んできました。同時に、荒廃した伊賀の寺社を復興した、民間の復興プロデューサーとしての一面も指摘できるのではないでしょうか。

2018年度第5回忍者・忍術学講座 (2).JPG

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