人文学部
人文社会科学研究科

研究

第6回「徳川幕府伊賀者の成立と展開」(前期)

徳川幕府伊賀者の成立と展開」要旨

高尾善希

この講義では、戦国期伊賀国における伊賀者の発生、そして、徳川幕府の役職としての伊賀者の成立と展開までを解説した。

①戦国時代の伊賀者は、傭兵として他国稼ぎを行い、主に「隠忍」としての有能な忍者集団として広域的に評判をとったと思われる(「陽忍」の伊賀者もいたであろう)。このように、他国との関係を深めるうち、徳川幕府や諸国の大名に仕官するようになったと思われる。近世において、「伊賀」の名前を冠した忍者の所在は、西日本が主で、岡山藩・鳥取藩・松江藩・徳島藩・熊本藩・徳川幕府が挙げられる。

②伊賀者は徳川家康にも仕官するようになった。知行地をもった地方取伊賀者の名字に、伊賀特有の地名が見られる。家康は戦場で伊賀者を活用し、支配地の分布から、江戸周辺の要所(甲州街道・川越街道など)の守りに使った。

③伊賀者は身分が低いにも関わらず、知行地を持ち続け、知行地を管理するために四谷に「伊賀者蔵屋敷」という支配事務所を運営した。知行地管理は地方掛伊賀者が担当した。

④徳川幕府では伊賀者は役職化していった(忍者としての特殊技術は必要ない)。そのため、さまざまな家筋の者が伊賀者に編入された。また、戦争のない時代であるから、伊賀者は幕府中央部の警備をする関係上、江戸城大奥の事務仕事も任せられるようになっていった。時代の要請とともに、伊賀者は性格を変容させていったのである。

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