人文学部
人文社会科学研究科

研究

第5回 「Ninjaになった日本の『忍者』」

「Ninjaになった日本の『忍者』」要旨

井上稔浩

アメリカ映画には80年代のショー・コスギによる忍者映画以来、数多くの忍者がヒーローとして登場してくる。しかしながら90年代以降に作成された3つの忍者映画、「ブレイド」(1998)、「Ninja」(2009)、「ニンジャ・アサシン」(2009)にはアメリカという国の成立に基盤を置いたいくつかの特徴が見受けられる。

アメリカは18世紀にヨーロッパから自らを切り離すことで成立した国家であり、このことは、例えば多くのアメリカ文学が父親不在を描いていることに直結している。同様に、これら3つの映画の主人公も、父親不在という背景を持って登場してくる。それだけにとどまらず、特に「ブレイド」や「ニンジャ・アサシン」においては、それぞれ父にあたるヴァンパイアや小角を抹殺すること、すなわちアメリカ成立の歴史的観点から言い換えるなら、ヨーロッパ的要素を排除することを主軸に映画が展開していく。

またアメリカは自然と文明の境界線であるフロンティアを西へ押し進めることで国土を発展させてきた。そしてこのフロンティア、すなわち文明と自然という対極を融合し、それを超越した状態は、元来アメリカの理想状態とされてきた。このことは上記の忍者映画においても、例えばブレイドが人間とヴァンパイアの混血であること、また「Ninja」におけるケーシー・ボウマンが西洋と東洋を融合させたヒーローとして登場してくることに見受けられる。

しかしながら、これら90年代以降に制作されたこれらの忍者映画は、それまで白人男性のみをヒーローとしてきたアクション映画と異なり、黒人や東洋人をもヒーローとして映画に登場させている。以上のように90年代以降の忍者映画はアメリカの歴史に根ざしたヒーロー像を片方で保持しつつ、もう片方では同時にこのヒーロー像を白人男性中心主義から解放している。以上のことが、これら3つの忍者映画の持続的魅力の根底に流れているのではないだろうか。

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