人文学部
人文社会科学研究科

研究

第1回「大正時代の忍者研究」(前期)

「大正時代の忍者研究」要旨

山田雄司

 

明治末から大正期にかけて、西欧からの影響を受けて民衆の間でも急激な近代化が進み、「科学」への関心が芽生えた。霊魂という日本の伝統的存在に対しても「科学」による検証が行われ、心霊学や催眠術ブームが巻き起こった。千里眼・テレパシー・念写・透視などの超能力の存在は世の人々の注目の的となり、千里眼(超能力)ブームを巻き起こし、精神療法・霊術が大流行した。その背景には、資本主義の急速な発達により社会矛盾が表面化し、物質万能主義に抵抗して伝統的精神世界を再評価しようとする動きがあったことを指摘できる。 忍術に関しては、江戸時代以来の印を結んで呪文を唱えると消える忍術使いのイメージが立川文庫の『猿飛佐助』などの流行によりさらに拡大し、尾上松之助の「児雷也」など忍術映画の隆盛とも相まって、こどもたちを中心に忍術人気が高まり、社会問題を引き起こすまでになった。 こうした忍術に対しても「科学的」視点が向けられるようになり、忍術使いの使う忍術を合理的に解釈しようとする試みがなされた。その代表が伊藤銀月(1871-1944)である。伊藤は『忍術の極意』(武侠世界社、1917年)などを著し、『正忍記』などの分析から、「忍術は、密偵潜行の目的の為に在らゆる困難危険に打ち勝ちつゝ遂行するの方法で、何処迄も物理的、心理的、且つ数理的なものである」とした。 大正時代にはそのほか多くの忍術本が出版されたが、その多くは忍術を現代社会にどのようにいかしたらよいかといった視点で書かれている。また日露戦後には、乃木希典は忍術の大名人であり、忍術は忍耐術であって、日本魂を鍛えるために有用であるとの言説も行われるようになったことが特徴的である。

2014年度第1回忍者・忍術学講座 (4).jpgのサムネール画像

 

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