「表裏変転の兵法 柳生新陰流」 要旨
多田容子
江戸時代、将軍を指南した兵法、柳生新陰流は、「人を切らない平和の剣」である。幕府は柳生宗矩(むねのり)を政治家としても登用、大目付(おおめつけ)にすえ、この兵法の理で国全体を治めた。
実技としては、日本古来の身体技法「ナンバ」(左右同側の歩法や体さばき)を基盤とし、身を左右に割る感覚で、半身(はんみ)、一重身(ひとえみ)といった構えを用いる。右が前と思えば左が前、正面を向いたと思えば一重身に。こうした転換で敵は戸惑い、攻撃の的を絞れなくなる。同時に、刀の表と裏(刃と峰)も返すことで、ますます混乱させ、その瞬間、こちらは絶妙の間合(まあい=相手との距離)で詰め、敵の本体は切らずに、手元などへ切っ先をつけて戦いを制するのだ。
弱肉強食という乱世の発想を大きく覆した新陰流の理と心は日本独自のもので、忍術に通じる。正面からぶつかることを避け、裏で仕事をしながら、機を見てそれを表へ転換。敵の予測を外し、動転させてパワーを奪い、戦闘意思や技を殺すのである。結果的にお互い少ない損傷で、致命傷なく事が収まる。
忍者の情報戦や心理戦は表立った大戦(おおいくさ)を減らし、何千何万の人命を救ったと考えられる。これらの兵法は、乱世に終止符を打ち、二百六十余年も続く、世界史上稀な平和国家を生み出したのである。