研究
第3回「猿飛と霧隠-江戸文学の中の忍者-」(後期)
「猿飛と霧隠-江戸文学の中の忍者-」要旨
高橋圭一
猿飛と霧隠は真田幸村の家来として、江戸文学の中で生み出された忍者(忍び)です。
史実の真田信繁(幸村)は、夏の陣での壮絶な討死によって世間に名を轟かせましたが、それ以前は父昌幸に隠れて目立たない存在だったようです。その幸村を日本一の大軍師としたのは、江戸時代の小説の一ジャンルである「実録」です。実録については、当時の条例などを引いて詳しく説明いたしました。
近世前期の文学、『大坂物語』『難波戦記』...と時代が下るにつれて幸村の活躍は増え、近世中期に成立した『厭蝕太平楽記』に至ってその天才軍師・豊臣の忠臣という像が完成します。と共に、『厭蝕太平楽記』で初めて猿飛佐助と霧隠(才蔵の名はまだありません)が一度づつ登場します。原本のコピーで、名前の書かれていることを確認してもらいました。さらに『厭蝕太平楽記』を約四倍に増補した『本朝盛衰記』が近世後期には出現します。そこでの猿飛と霧隠は卓越した忍びとして、主として情報収集・報告、及びその操作に携わります。ただ一度、霧隠が他の四人の忍びと家康の旗本勢四五百人と戦った挙げ句、鉄砲組に囲まれるや、忍術で姿を消すという場面が描かれています。ここは原文を読んでもらいました。江戸の忍びも、立川文庫の猿飛・霧隠並みの腕を持っていたようです。