人文学部
人文社会科学研究科

研究

第1回「陸軍中野学校のカリキュラム の中での「忍術」講義」(後期)

陸軍中野学校のカリキュラムの中での「忍術」講義」要旨

山本武利

 

陸軍中野学校は1938年~1945年秘密戦士を養成した。その初期の2年間に藤田西湖が甲賀流忍術を指導したことが、公文書や彼の自伝『最後の忍者―どろんドン』で明らかとなった。同校では甲賀隠密用忍術用具1式を購入した。そこには変装具や渡河道具があった。「昔からの伝統の甲賀流忍術は、ここに新時代の創意と工夫が加味され、堂々と国家のお役にたつこととなった」と彼は自慢げに回顧する。同校では各種の実技のなかで忍術は変装、偽騙の術に近い扱いであった。潜行という科目にも忍術との親近性があった。ところが日米開戦必至の状況になると、忍術はカリキュラムから消えた。合気道がなくなった。さらに戦局が悪化すると、偽騙術までも軽視され、破壊法、殺傷術が重点的に講義された。中野学校の二俣分校では即戦力のある大量の将校が育成された。

近代戦では武術的な体技よりも科学的な武器の使用が重視された。忍術が振り返られなくなった。しかし秘密戦士の前線では忍耐性、精神性を尊重するエートスが底流にあった。それは「忍道」と呼ばれることもあった。呪術性も忍術への魅力を消滅させなかった一因と思われる。

2018年度後期第1回忍者・忍術学講座 (1).JPG

動画(部分)

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