人文学部
人文社会科学研究科

研究

第6回「藤堂藩伊賀者と新発見木津家文書」(前期)

「藤堂藩伊賀者と新発見木津家文書」要旨

高尾善希

三重大学国際忍者研究センターが研究活動を行うにあたり、まず参考となすべきものは、伊賀地域における先学諸賢の業績であろう。具体的には、上野市古文献刊行会による藤堂藩政に関する翻刻史料集、久保文武氏らの研究などがある。

そこで、この報告では、まず、その翻刻史料集から忍者に関する史料を抜き出し、それらの再検討を行った。そして、今回発見にいたった伊賀国大野木村木津家文書の紹介を行った。

前記の藤堂藩政の史料集からは、約120件の藤堂藩の伊賀者に関する文章を見出すことができた(久保氏らが検討したものを含む)。ここから、彼らは鷹場管理・江戸詰番(御門上番小玄関詰め)・藩主道中警固(不寝番)・情報探索・御城廻り・安濃津詰番・忍術上覧披露などを勤めていたことがわかる。特に、「火術」を重んじていたこと、江戸に下向するため経済力がなければ勤められなかったこと、犯人捕縛や藩主警固以外の警固も勤めていたこと、藩の伊賀者以外にも伊賀国には忍者が数多くいたことなどが判明した。

木津家文書は、去年11月に、当センターに寄託をうけた。同家は2代目から5代目まで伊賀者の任にあり、それ以降は、平無足人に落ちたものの、その後、藤堂藩の坊主を勤めるなどしていた。2代目は、伊賀国における新田開発の候補者に挙がるほどで、同家の経済力や信望のほどを窺うことができる(すなわち、伊賀者を勤め得る家であった)。また、5代目が提出した忍術伝授起請文の正文が残っている。その内容から、伊賀者同士で忍術を伝授しあっていたこと、「万川集海」がそこで使われていたこと、「火器」という語が特に出ていることから「火術」を重視していたことを指摘した(「万川集海」でも「火器」の記録が多い)。

国際忍者研究センターでは、これからも、藤堂藩政に関する豊富な翻刻史料を再検討しつつ、伊賀者の地域史料を発掘し、研究やその成果の普及に努めていきたいと考えている。

2019年度前期第6回忍者・忍術学講座 (8).JPG

動画(部分)

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