人文学部
人文社会科学研究科

研究

第2回「紀州徳川の忍術二流 -橋爪流と名取流-」(後期)

紀州徳川の忍術二流-橋爪流と名取流-」要旨

中島篤巳

橋爪流軍学の伝書が『合武伝法急勌(ごうぶでんぽうきゅうけん)』、その忍術巻が『合武伝法急勌嗅物見(かぎものみ)法』であることを明らかにした。橋爪流が合武流と呼ばれる所以であり、さらに村上水軍の「合武三島流」に合武流が伝わった事実も示した。橋爪流は橋爪惟成が父の残した伝書を解読して中興したとされるが、橋爪廻新斉惟敬(伯父?)が惟成就任の二十三年前に紀州藩「兵家」に就いており、中興は惟成と惟敬の共同作業である可能性も述べた。

名取流も甲州流系であり、甲州流伝書の図・「胴の火」が名取三十郎正武の『正忍記』の「胴の火」に一致することなどから、名取流が甲州流から分派した具体例な証拠を示した。名取流軍学は皆伝許証の伝系では「名取氏兵法」であり、紀州名取流初代・名取正澄(正豊四男)から宗家筋以外の弟子・小野木秀辰にも皆伝印綬され、これが分派として『軍髄応童記』を残したことを示した。名取流は新楠流とも呼ばれるが、根拠が初代藩主・頼宣の命名というから、名取流はその時点で消滅して新楠流となるべき点に触れ、流名・新楠流の問題点を述べた。『正忍記』写本の一つに「楠流軍学秘書より盗写した云々」とあることから、『正忍記』は名取流から分かれて楠木正成に仮託した「楠流軍学」の忍術部門である点はこれまでに述べた通りである。

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