研究
第3回「忍術書『万川集海』の伝本研究と成立・流布に関する考察」(前期)
「忍術書『万川集海』の伝本研究と成立・流布に関する考察」要旨
福島嵩仁
忍術書「万川集海」は写本が少なくとも30種類以上存在し、これまでどの写本が善本であるかの伝本研究がされてこなかった。今回、「万川集海」の基礎研究を行ったところ、従来考えられてきた「伊賀本」と「甲賀本」の分類の他に「巻子本」系統が存在していたことがわかった。巻子本系統は比較的原本に近い初期の写本であり、これが「伊賀本」へ派生し、後に「甲賀本」へと派生していった。火器編の一部の巻などは成立年が違うことから、「万川集海」が成立したときにすべての巻が揃っていたわけではなく、後に追加された巻があると考えられる。また、著者は「藤林左武次保武」であると考えられてきたが、特定の写本の記述から、正確には「冨治林傳五郎保道」であり、藤堂藩伊賀者の役職との関連で、特定の枠組の中で伊賀地域を中心に流布し、やがてそれが甲賀地域などの他国へと流れ、江戸幕府へと伝わっていったという流布経路を辿ったものと考えられる。
「万川集海」はこれまで「甲賀本」を中心に内容解釈が進んできたが、今後は「伊賀本」、中でも「沖森本」を善本とし、必要に応じて他写本を参照すべきである。