人文学部
人文社会科学研究科

研究

第6回「徳島藩の伊賀士-伊賀者をステータスシンボルとした侍たち-」(後期)

「徳島藩の伊賀士-伊賀者をステータスシンボルとした侍たち-」要旨

根津寿夫

 徳島藩には伊賀士と呼ばれた武士がいた。彼らの屋敷が集まったのが伊賀町だ。ここでは、伊賀士をめぐる歴史を明らかにした。
 伊賀士は、徳島藩士の系図・系譜書である「成立書」によると8家が確認でき、その5家に共通の記述がある。彼らは伊賀出身で、織田信長との戦いに敗れ退転し、出雲松江藩の堀尾家、讃岐高松藩の生駒家を経て、寛永17年(1640)に徳島藩蜂須賀家に召し出されたというもの。伊賀出身を強調し、ステータスシンボルとしているようだ。
 職務は行列の警護にあたる徒士と同じだが、江戸時代中期から専門化が進んだ。これとは別に探索業務を行う「伊賀役」を務め、これは期待された職務だった。
 徳島藩では、伊賀士、伊賀役などの伊賀を冠した言葉が使われ続けた。徳島の人々は彼らを、特殊能力を持つ忍びのエキスパートと認識していたのではないか。徳島藩における「伊賀」認識の特性について指摘した。

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