人文学部
人文社会科学研究科

研究

第1回「甲賀郡中惣と戦国の傭兵」(後期)

「甲賀郡中惣と戦国の傭兵」要旨

長谷川裕子

 甲賀や伊賀の忍者って、中世社会ではどんな活動していたんだろう。江戸時代には、忍者として認知され、忍術書も発行されていた甲賀・伊賀の忍者ですが、彼らの前史としての中世社会での活動についてはあまり知られていないのではないでしょうか。
 中世社会では、特に「鈎の陣」と呼ばれる室町幕府将軍足利義尚による守護六角氏征伐の際、甲賀の人びとは六角氏方として参加し、その功績のあった人びとが甲賀53家や21家と呼ばれるようになりました。また、さらにその後に発生した応仁・文明の乱による上級権力の不在によって、甲賀地域における紛争解決のための「横」の連合組織を作りようになりました。
 中世後期における度重なる戦乱の中で、領域平和を実現するため、紛争解決のために作られていた連合組織が郡規模に拡大し、さらに領域外から侵入してくる敵に対して、各領域権力と対立しないような「中立」地帯を作り出すため、各地に「傭兵」や戦国大名・国衆「被官」となるべき人員を送り出していました。戦場が日常な世の中で作られた「中立」地帯でしたが、日本列島の統一国家を作りだそうとする領域権力は、こうした「惣国一揆」権力を「縦」に編成しようとし、最終的には織田・豊臣政権による全国統一の動きの中で、甲賀郡中惣や伊賀惣国一揆は解体されてしまいます。しかし、紛争解決を主要な目的としたまとまりは、江戸時代以降も維持されていったことを明らかにしました。

甲賀郡中惣サムネイル.png

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