人文学部
人文社会科学研究科

研究

第2回「甲賀の坊人と薬業-甲賀に薬業を育んだ江戸時代の里修験について-」(後期)

甲賀の坊人と薬業-甲賀に薬業を育んだ江戸時代の里修験について-」要旨

眞岡孝至

 滋賀県甲賀市南部の甲南町、甲賀町は薬業が盛んで多くの製薬会社やその業界団体である薬業会館、さらに滋賀県の薬事指導所などがある。この甲賀市南部地域(特に甲南町磯尾や龍法師)の薬業の発展の礎を築いたのは古くからこの地域に根付いた修験道と山伏(坊人)たちである。もともとこの地域は比叡山との関係が深く比叡山延暦寺の開祖、傳教大師最澄が開いたと伝えられる天台宗寺院が多く存在し飯道山は中世から近世にかけて修験道場として栄えた霊山である。江戸時代にはこの飯道山で修行した甲賀の山伏は多賀社、祇園社、愛宕社、伊勢朝熊山などに坊人(使僧)として仕え、それらの寺社のお札を各地の信者に配り歩いた。そのなかで「神教はら薬」や「万金丹」などの薬を信者に施薬あるいは土産物として配っている。これがこの地域の薬業の起源といわれる。私の先祖も多賀社や朝熊山に仕えた坊人である。しかし明治維新の神仏分離により修験道が廃止され坊人たちは職を失ったために薬業に転じた。家内工業による薬の製造と配置売薬がはじまり、大正期になると会社組織による製薬が行われる。本講演では甲賀市南部地域の修験と薬業の歴史について述べる。

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