研究
第3回「吾妻衆 真田忍者 -上州を駆けた古今無双の勇士たち-」(後期)
「吾妻衆 真田忍者 -上州を駆けた古今無双の勇士たち-」要旨
山口通喜
真田三代(幸隆・昌幸・信之・幸村)に仕えた忍者の活動を、地元に残された古記録・古文書および伝承などをもとに紹介する。
今回の講座と同名の展示会が群馬県中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」において令和3年7月20日から12月19日まで開催された。冒頭で展示会の概要をご覧いただく。
真田忍者は修験道と深い関わりがある。群馬県吾妻郡は岩櫃山・嵩山等の修験道場があった土地柄で、戦国時代には50か所以上の山城が点在する。それらを拠点に、上杉・北条・徳川ら諸大名と服従離反を繰り返し、数多の優秀な忍者を輩出した。忍者は黒装束で奇想天外な術を使うイメージが強いが、真田忍者の多くは武術・馬術・火術に秀でた地侍で、真田一族を存続させるため、即ち村を守るために活躍した、誇り高い家臣団の主力メンバーだった。
大坂の陣では信之方(東軍)と幸村方(西軍)の双方に上州吾妻から馳せ参じた。しかし幸村公と戦い、それを悔やんで自刃したとされる田村佐次右衛門。修験者となって幸村公の菩提を弔い入定した唐沢正慶(真入坊)。生活困苦に陥って旧臣に討ち取られた割田下総など、忍びの最期は華やかではなかった。