研究
第2回「徳川幕府伊賀者再考」(前期)
「徳川幕府伊賀者再考」要旨
高尾善希
この講義では、近世初期の徳川家中における伊賀者の動向について、3つの論点を述べた。1つめは、天正10年(1582)、徳川家康による尾張国鳴海における伊賀者召し抱えの問題である。これにどれだけ信憑性があるか不明だが、永禄3年(1560)、鳴海城の今川方の武将岡部元信が、伊賀者を活動させていた例もあるため、鳴海という土地と伊賀者との関係は、まったく無ではないことを指摘した。つまり、鳴海召し抱えは非史実と断言するのには躊躇がある。2つめは、徳川家康江戸入部時における伊賀者の軍事的役割の問題である。伊賀者の知行地が屋敷としても使われていたことを指摘し、そのうえで、江戸防備における伊賀者の軍事的役割も指摘した。3つめは、役職「伊賀者」の成立の問題である。「黒鍬組」などと同じように、幕府の役職のひとつとして、役職「伊賀者」が成立する。伊賀者たちは、服部半蔵正就追放以後も、戦陣のみならず、北関東の盗賊狩りなどの特殊的な任務にも動員されていた。彼らの一部は、やがて、江戸城や明屋敷などの警備の任にあたる役職「伊賀者」に配属されていった。松下家文書中の、松下金左衛門・遠藤与十郎の履歴の記述から、その配属の過程を論証した。