人文学部
人文社会科学研究科

研究

第5回「画面の中の忍者たち-映像作品にみる身体統御の「芸」と「術」-」(前期)

画面の中の忍者たち-映像作品にみる身体統御の「芸」と「術」-」要旨

武村知子

 江戸時代に武士の「表芸」とされた剣術。その達人は武芸の達者すなわち「武芸者」と呼ばれましたが、忍術にすぐれた忍者が「忍芸者」と呼ばれたことはおそらくなかったし、忍者の「表芸」という言葉もきいたことがありません。忍術、武術、剣術、幻術――「術」とは端的に、個別のテクニックの名称ですが、それを身につけた人が広く世間に対して修練の成果を披露するとき、その「術」は単なる「術」であることを越えて、その人が拠って立つところの「芸」となります。武芸者には、各種御前試合をはじめその「芸」を披露するための場が与えられ、また必要とされましたが、忍者にはそのような晴れがましい場は用意されていなかった、なぜなら「忍ぶ」者たちであるのだから――というのが、少なくとも私たちがずっと抱いてきた忍者のイメージであるでしょう。
 20世紀以降における忍者のイメージの形成には、映画やテレビドラマなど映像媒体が大きな役割を果たしました。よく知られているように、戦後時代劇黄金時代の1950年代までは、映画に登場する忍者はまだ忍者というより忍術使い、妖術使いで、映画のクライマックスで「見どころ」として剣戟を披露する彼らの画面上のありかたは、むしろ半ば以上「武芸者」のものでした。忍者がいかにも忍者らしくなるのは60年代、時代劇が銀幕からテレビへ徐々にその場を移していった時代です。テレビドラマ揺籃期の稚気にあふれた実験精神がもたらした数々の映像トリックが、画面上ならではの忍者のありかた、いわば忍者の「型」をあっという間に確立させていきました。視聴者の目には見えない不可思議な幻術というべき映像編集術と、画面に映るが本質的に幻像である登場人物たちとの関係は、不可視の忍術と目に見える「忍者」像とのあるべき関係に非常によく適合したのです。映画やテレビドラマの中で忍者たちが見せてくれる「芸」とは、まさしく「イメージ=像」として画面の上で生きる生きざまと、その「型」の呈示に他なりませんでした。
 映画・テレビを通じての戦後時代劇は、80年代半ばにいったん幕を閉じますが、その最後を飾ったのは、映像トリックに依拠することをやめ、目覚ましい体術=アクションに拠って立つ新たな忍者たちの華麗な跳梁でした。チャンバラが次第に衰微する中、「表芸」としてのアクションを携えた忍者が武芸者にとってかわって日の当たる場所へ出たとき、日本戦後時代劇はその一期を終えたのだ、と言うことがおそらくできるでしょう。

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