人文学部
人文社会科学研究科

研究

第2回「戦国の甲賀」(後期)

「戦国の甲賀」要旨

畑中英二

 調査研究の進展により江戸時代における忍びの実像はかなり明らかになってきました。資料は豊富ではありませんがそれ以前にも忍びが存在していたことは明らかになってきています。ただ、その具体像の解明は課題となっているところです。今回は、戦国時代の甲賀における城館の構造や分布、群構成の検討をはじめとし、六角征伐や織田・六角戦争時の甲賀の在り方に目を向けることにより、忍びを生み出す土壌が如何なるものであったのかを考えました。諸資料を検討した結果、伊賀国との国境地帯であり守護大名の力が及ばなかった地域であったこと、戦乱時には傭兵として出向いたり郡単位の小地域であるものの敵味方に分かれて戦っていたこと、将軍・管領・守護大名などが逃げ落ちてくることが多く彼らを保護し復活の助力をしていたことなどがわかりました。日本列島の東西を画する鈴鹿山系を背後にする境界というマージナルな地域が彼らの本拠地であり、戦国大名という強力な調停者を持たなかったことから非常に固有な在り方をしていたことがわかります。加えて、里人とは一線を画する武力を持っていたこともあり、アジール的な性格も持ち得た可能性を考えました。

戦国の甲賀 畑中英二(京都市立芸術大学美術学部教授)三重大学伊賀連携フィールド2022年度後期市民講座「変化する忍者」2022年11月26日開講-1280_720.png

動画

Page top