人文学部
人文社会科学研究科

研究

第6回「三代目・玉田玉秀斎とヒーロー忍者・猿飛佐助の誕生について」(後期)

三代目・玉田玉秀斎とヒーロー忍者・猿飛佐助の誕生について」要旨

玉田玉秀斎

 玉田玉秀斎という名前が最もよく知られたのは明治・大正期である。その理由は講談速記本で大流行した『猿飛佐助』と言われている。江戸期までの創作世界における忍者のイメージはその術を使い物を盗み、情報を盗み、国家転覆を考えるというものだった。それが明治期に猿飛佐助が登場すると忍術は人のため、仲間のため、主のために使うという変化が起こった。それがヒーロー忍者の誕生と考える。それにより忍者は主役として活躍しやすくなり、その活動範囲が広がった。そこで、どのようにしてヒーロー忍者・猿飛佐助が誕生したのかを考察した。まず、その背景として日本語速記術の誕生と普及により、話芸を文字化するのが容易になった。それにより講談速記者という新しい職業が生まれた。しかし、速記術は手間がかかる。そこで速記者は読者を想像して速記術を使わず文字化しはじめた。これにより早く書籍化できたのである。そこに速記者による創作の余地が生まれた。そこに入り込んだのが山田阿鉄たちだった。彼らの参加により『真田幸村諸国漫遊記』を本伝とし、銘々伝化された『猿飛佐助』が生まれた。それ以前に阿鉄たちが関わってヒーロー忍者『花丸鬼太郎』が創作されていたことも明らかになった。

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