人文学部
人文社会科学研究科

研究

第5回「江戸の中の伊賀者」(前期)

江戸の中の伊賀者」要旨

高尾善希

 この講座では、徳川幕府に仕える伊賀者たちの、"土地に対する執着"について、江戸都市論を踏まえて考察した。①都市江戸には、将軍家の居城がある江戸城を中心に同心円状の構造があり、特に、外堀のラインが示す総構(そうがまえ)から外れる場所は、将軍家の「お膝元」から外れた場所として意識された。②伊賀者たちは将軍家近くに仕える者としての矜持をもっていたため、江戸における拝領屋敷の位置について、こだわりをもった。たとえば、17世紀中頃、31軒の伊賀者たちは、幕府から本所への屋敷拝領を命じられたが、彼らはそれを拒否、あらためて、山の手への屋敷拝領を願い出た。本所は外堀のような扱いをされる大川(隅田川)の向こう側に位置していたため、総構の外であると意識され、将軍家近くに仕える者としての矜持をもった伊賀者たちにとって、本所への屋敷移転は不満であった。幕閣では、検討した結果、伊賀者たちの言い分を認め、江戸城近くの山の手への屋敷拝領を命じた。この一件の検討から、伊賀者は将軍家近くに仕える者として江戸城近く、山の手の拝領屋敷を強く願ったこと、その点ですべての伊賀者が同じ扱いになることを意識したこと、それらは「神君伊賀越えの由緒」を基点とする徳川家康の由緒が根拠となっていたこと、などがわかった。

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