人文学部
人文社会科学研究科

研究

第3回「文芸における徳川家康と忍者」(後期)

文芸における徳川家康と忍者」要旨

吉丸雄哉

 戦国の革命者織田信長、派手な立身出世譚の豊臣秀吉に比べて、長生きで天下を勝ち取った徳川家康は地味であり、出版統制もあって有名な軍記もないので、その事蹟が信長や秀吉より広まりにくく、創作にも登場しにくかった。また、武士の中の武士であり、早くから神格化されていたため、江戸時代に卑怯だと思われていた忍びをつかうことは公的な記録では触れられないことが多く、忍術書でも家康が忍びを使うとは書かないようにしていた。しかし、実際には家康が忍びを駆使して戦国を勝ち抜いたのは間違いないだろう。そのため、情報戦の勝利である小牧・長久手の戦いを検討し、江戸時代ではどのように記録されていたのか、さらには時代小説がどのようにそれを活用して執筆されたのかを確認した。公的なものは中入り軍の移動について篠木の住民が報告し、家康の忍びの利用を認めないものが多いが、『三河後風土記』『改正三河後風土記』『武徳編年集成』『伊賀者由緒書』では伊賀者が諜報に活動したとされ、『三河後風土記』『改正三河後風土記』では服部平六という名前まで認められる。近代における山路愛山の評伝には『史籍集覧』に収められた『改正三河後風土記』が利用されたと思われる。山岡荘八や司馬遼太郎は山路愛山の評伝のほか『日本戦史 小牧役』を小説の執筆に利用したと考えられている。そのほか、小説における小牧・長久手の戦いを描いたものとして、吉川英治『新書太閤記』では敗者側の池田恒興の忍びの者が登場しているのが面白い。

吉丸サムネイル.jpg

動画

Page top