研究
第1回「修験道の歴史」(前期)
「修験道の歴史」要旨
徳永誓子
修験道が独自の体系を成り立たせていくのは、11世紀後半から14世紀にかけて、すなわち院政時代から鎌倉後期・南北朝時代のことと考えられる。現存の史料から推測するならば、まず大峰山系を縦走する大峰入峰が11世紀後半から定着し、13世紀前半までに山伏特有の装束が現れ、同世紀末から14世紀に、山伏たちの信仰体系を示す「修験道」という概念が形成される。
伊賀と甲賀はともに修験行場があったと考えられ、忍者の文化にも影響を与えたと推測されている地域であるが、残念ながら中世について分かることは限られる。伊賀は、黄瀧寺(現、延寿院。名張市赤目町)が、11世紀後半から役小角ゆかりの行場として修行者を集めたことが注目される。また、黄瀧寺を含むかは不明だが、13世紀末~14世紀末の大和国と近国の山伏集団に、伊賀の山伏が加わっていたことが分かっている。
甲賀は、飯道寺が近世には活発な信仰が見られた場として名高い。南北朝から室町時代の制作と推定されるこの寺の縁起には、修験道がもたらされたのは鎌倉時代の終わりとある。意外に思えるが、各地の修験行場の歴史は実に多様である。飯道寺は縁起によってそれが裏付けられる大変貴重な例にあたる。