研究
第2回「兵法書に見る忍術」(前期)
「兵法書に見る忍術」要旨
山田雄司
近世兵法学は甲州流、北条流、山鹿流、越後流、長沼流の五流派が主流とされるが、そのうち基本となるのが甲州流で、武田信玄・山本勘助らの流儀を受け継いだ小幡勘兵衛景憲を祖とし、そこから各流派に広がっていった。
黒川古文化研究所蔵『竊奸秘伝書』は松代藩に伝わった忍術書だが、この中には、元来忍びの道については伊賀・甲賀の者が記した書籍があって、武田信玄に仕えたスッパ(忍び)多田治部左衛門と高田郷左衛門らがそれを語り伝えている旨が記されている。実際武田信玄は忍びを巧みに利用することにより勝利を重ねた。また、『冨治林家由緒書』によれば、伊賀で忍術をよくした藤林長門守が駿府の今川義元に仕えていた際、山本勘助とも交流があったとされ、そこで忍術と兵法の交流があったことが考えられ、伊賀・甲賀の忍術が武田家に伝わったことが推測される。
そして、武田家に伝わった忍術が甲州流兵法に取り込まれ、その後の各流派の兵法書にも受け継がれていったのではないだろうか。このように考えると、忍術書の成立について、現存する忍術書は17世紀中葉以降のものばかりだが、戦国時代にまで遡るものもあったのではないかと考えた。