人文学部
人文社会科学研究科

研究

第3回「戦国時代における忍術ー武田信玄家中の「窃盗(しのび)の巻」」(前期)

戦国時代における忍術ー武田信玄家中の「窃盗(しのび)の巻」要旨

魚住孝至

 小笠原昨雲著『軍法侍用集』全十二巻に、武田信玄家中の服部治部右衛門の工夫を記したとする第六・七・八巻「窃盗の巻」がある。この書は大坂の陣直後1618年に成立し、1650年代中心に4度も刊行された軍法書として有名だった。近年の忍術史研究で『万川集海』(1676年成立)に心得歌や文章、忍術器の図などが引用されているのが指摘されている。講師は『戦国武士の心得』(ぺりかん社・2001)で全巻を翻刻し解説したので、この書の内容の概要と後代の兵法流派や忍術書への影響を論じた解説の抜粋を資料で配布。合戦の軍勢には、200騎で徒士・人足を含めて総勢3800人に、物見衆と窃盗衆各20人が配置され、偵察・護衛・攻略・敵勢攪乱など重要な役割を担っていた。攻略道具や火薬・火矢などを工夫。窃盗衆は、合戦の前に敵国に潜入し、情報収集と内通者工作なども行い、合戦を起こす時機について報せた。「服部治部右衛門」の名は他書に見えないが、伊賀の窃盗が必要との記述があるので、伊賀者と推定される。『万川集海』に大量に引用されたのは、織田信長の伊賀侵略によって焦土化され重要な資料が失われ、著者の先祖も含めて他国へ転出した事情と、『侍用集』の内容が伊賀にあった内容と通じていたからか、今後の忍術書研究の進展に期待したい。

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