人文学部
人文社会科学研究科

研究

第2回「伊賀の古代を考える -古代日本の国際的環境-」(後期)

「伊賀の古代を考える-古代日本の国際的環境-」要旨

井上満郎

 古代の伊賀は、外部に向かって開かれていた地域であった。道は各所に通じていたし、平安時代前期までは東海道の通過する地理的環境にあり、何より王都に近接するという好条件にも恵まれていた。そこで忍者・忍術が日本列島外の、中国大陸・朝鮮半島から渡来して伊賀に住み着いた人々によって担われたという説が問題となる。
 その中軸にいつも据えられる服部氏について言えば、これを大陸・半島からの渡来人とする説は成り立たない。伊賀国には確かに服部郷という古地名があるが、これは機織りをもって朝廷に奉仕する集団が居住したところから発したもので、平安時代の『倭名類聚抄』では服部郷・服織郷は全国に十か国以上も記載されている。
 服部氏という姓もまた、武蔵・安房・美濃・近江・越前・佐渡・因幡・隠岐・備中・阿波など実に広範な分布が確かめられており、伊賀の服部もその一つであることに注意が必要だろう。伊賀の服部氏だけが特別な氏族なのではなく、日本に多く分布したうちの伊賀のそれが忍者・忍術という個性的な文化を築きあげたのは、この地でのたゆまない努力の結果であり成果であったことを見逃してはならない。

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