人文学部
人文社会科学研究科

研究

第3回「『自来也説話』における妖術と忍術」(後期)

「『自来也説話』における妖術と忍術」要旨

大関 綾

 本講座では、読本『自来也説話』における「忍術」と「妖術」の語の使用例に着目し、両者の違いについて考えた。『自来也説話』は中国の「盗賊我来也」の説話を典拠とする。本作品は当初前編のみで完結の予定であったが、前編の終盤に後編も作成されることが決まり「妖術」の要素が加えられた作品であり、前編と後編とで自来也のイメージがそれぞれ義賊、悪賊と異なることは拙稿で述べたことがある。

 講座内では、「忍術」と「妖術」の語もその自来也のイメージに付随して使い分けが行われていることについて、本文を挙げながら確認した。それにより、自来也に義心があり「智」を施した行動には「忍術」ということばが使われ、悪賊的な行動には「妖術」が使用される傾向を指摘した。

 このように、現在では「忍者」としてのイメージが強い自来也であるが、読本『自来也説話』時点では義賊とも悪賊ともとれる盗賊のイメージが強かった。この読本を基に大幅に構成を変更して制作された合巻『児雷也豪傑譚』では、児雷也は当初から義心のある妖術使いである。この印象により、妖術と忍術とのイメージの一致が生じ、ジライヤを忍者とするイメージが定着したことを述べた。

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