研究
第2回「鈎の陣再考」(前期)
「鈎の陣再考」要旨
山田雄司
甲賀古士の由緒として必ず語られるのが、室町幕府第9代将軍足利義尚による六角氏征伐である「鈎の陣」の際の功績である。このときに甲賀衆は伊賀衆とともに「亀六の法」という戦法で幕府軍を翻弄したとされるが、同時代の日記類にはそうしたことは記されていない。しかし、甲賀衆が六角高頼を甲賀に導き、伊賀衆とともに山中に身を隠して幕府軍に抵抗したことは確かである。そうしたことから、伊賀衆・甲賀衆は平時から連絡を密にとって協調関係にあったことが想像できる。また、記録等からは、伊賀衆の方が勢力が強く、甲賀衆はそれに頼っているように感じられる。
こうした史実はのちに活かされることになった。江戸時代に甲賀古士としてまとまり、二十一家・五十三家として幕府に訴願して武士としての身分を認めてもらおうと、『万川集海』を提出するのとともに、自らの由緒をまとめる必要が生まれたのである。そこでは、甲賀衆が義尚を夜襲して傷を負わせたことにより義尚を死に追いやったことが付け加えられた。もちろんこれは史実として認められる内容ではない。
一方伊賀衆は自らの由緒について明確な起源を有さない。それは、そうしたことを語る必要がなかったからだと位置づけた。