人文学部
人文社会科学研究科

研究

第2回「服部半蔵の子孫たち」(後期)

「服部半蔵の子孫たち」要旨

大塚由良美

 家康の「伊賀越え」を先導した服部半蔵正成の嫡男正就は、跡目を継ぐが忍者集団を纏めきれず改易され、妻松尾の父掛川藩主(後に桑名藩主)松平定勝に預けられ、大坂の陣で討死する。その子正辰は定勝の3男で桑名藩主となった松平定綱に仕え、「御家族」の扱いを受けて「服部石見家」として幕末まで存続する。正辰の兄正幸は定勝の嫡男定行に仕えて伊予松山藩家老となり、また、正辰の3男正純は定勝の5男で今治藩主となった定房に仕え同じく家老となっている。松山服部家も今治服部家の幕末まで続いている。

 正就が改易された時「半蔵」の名跡を継承し家督を相続したのは正就の弟正重であったが、彼も大久保長安事件に連座して改易され、定勝に仕える事となった。正重は、桑名藩家老となり、この「服部半蔵家」も幕末まで続き、最後の半蔵を名乗った正義は、戊辰戦争では軍事奉行として戦場に出ている。

 以上のように、半蔵正成の子孫は桑名で活躍した。

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