第1回 「忍者の精神」

「忍者の精神」要旨

山田雄司

戦国期の兵法書のなかには「しのび」に関する記事が散見される。上泉信綱伝新陰流軍学『訓閲集』では、間諜の術について記され、「およそ間諜とは軍を興すべき二三年も前より、職人・商人、或いは芸能のある遊士の類を敵国へ遣わして、その国の士・町人の風俗、大将・物頭の賢愚、軍法の嗜(たしな)み、兵粮・水・薪の有無、山川地形の険易(けんえき)、道路の迂直を計り知りて後、軍兵を出すべし」のように、事前の諜報活動の重要性について述べている。また、『軍法侍用集』では、「大名の下には、竊盗の者なくては、かなはざる儀なり」として伊賀・甲賀者を重要視し、「しのび」となる者には才覚が必要だと説いている。

十七世紀後半になると相次いで忍術書が成立し、そこでは「忍者」は盗賊と違うことが強調されている。忍術書は日本および中国の兵法書をもとにまとめあげられ、竊盗の起源を漢高帝のときに求め、日本でも聖徳太子のときに求めるなど、古くから存在していることを説き、権威づけをはかっている。こうしたあり方は、太平の世になって「しのび」の需要が低下している中で、幕府に嘆願書を提出して仕官を懇望する動きと連動していると言える。

忍術書では「忍術」の体系化がなされ、「忍ノ本ハ正心也」というように、精神性が強調されるが、これは逆に実戦から遠ざかっていることを意味している。また、儒教的色彩が濃厚なのは、幕藩体制の中でいかに受け入れられるかを意識していたからと考えられる。『楠流奪口忍之巻註』で、「忍」一字の持つ意味として、「字ノ心ハ刃ノ下ニ心ヲ書、心ハ胸也、胸ニ白刃ヲ当テ物ヲ問ヒ、決断ニ逢フ心也」のように記していることは、武士道との関係から考察していく必要があろう。

「忍者」像は時代とともに変遷し、現代社会でさらに大きな変容を遂げた。今では世界に知れわたることとなった"Ninja"はローカルにしてグローバルである「グローカル」な希有な存在である。伊賀が常に世界へ向けての忍者発信センターであるよう研究を深めていきたい。

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