第4回「芭蕉忍者説の傾向と対策」(後期)

芭蕉忍者説の傾向と対策」要旨

吉丸雄哉

松尾芭蕉を出自から忍者と見なす説は「芭蕉は無足人(准士分)の末流だが、父の代ではもう農民」「無足人は忍術を身につけ働いた伊賀者とは別の身分で、忍術を身につけていた者は稀」「母の出生は資料をきちんと解釈すれば百地氏と関係づけられない」ので無理がある。
「奥の細道の行程から健脚なので忍者」という説は、最大でも一日60キロの日がある程度で他は健脚な当時の日本人と変わらない移動距離なので否定できる。
そもそも芭蕉忍者説の起源は松本清張・樋口清之『東京の旅』(光文社、昭和41年)である。以後、結論先決めで理屈をつける形で芭蕉忍者説は発展してきた。斎藤栄『奧の細道殺人事件』(光文社、昭和45年)や連続テレビ時代劇「隠密・奥の細道」(テレビ東京。昭和63年~平成1年)などフィクションも様々登場し広まっていく。
出自や身体能力からの説明が難しいため現在では反証可能性のない芭蕉隠密説が生き残っている。芭蕉は逸話の多い人物だが忍術を使った逸話もない。戦後の忍者ブームを経て芭蕉と組み合わせる発想が生まれたのだろうが、芭蕉忍者説は芭蕉にとっても忍者・忍術にとっても益のない発想である。

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